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別名サフィの独り言

気ままに生きてる宇宙人の映画とか読書とか勉強とか。

学歴コンプレックスへの模範解答。

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明日は熊本の公立高校の入試の日らしいので、少し思ったことを。
フィリピンからお送りします、サフィです。

フィリピン滞在も残り一週間。

帰国してデジカメの写真を全部スマホに移し終わったらスラム街の話とか、留学後半のお話とかゆっくり書きたいと思います。

今回は衝動的に思ったことがあったから書きたくて。

今回のテーマは学歴コンプレックスのこと。
ワタシなりに出した学歴コンプレックスへの回答です。
興味のある人はぜひどうぞ。


熊本の高校入試は大体の人が公立高校が本命です。それは、県内で頭のいい高校はすべて公立高校であることから。そして、頭の悪い公立高校だって私立よりは学費がかなり安いから、
クラスで成績1番のあいつも、1番下のクルクルパーもあいつも、みんな本命はこの公立高校入試なのでございます。

ワタシもはるか5年前。
この公立高校入試に出陣したのを覚えています。

さて、ワタシの話をすると、ワタシが5年前受験したのは熊本で二番目の進学校。偏差値70越えのスーパーエリート高校。
進学校のくせに甲子園に行ったり、クリームシチューの母校だったり、何かとうるさい我が母校。
それが、ワタシの受験した熊本県立済済黌高校

この済済黌高校の黌の字が書けないと落ちる、などというくそつまらん噂が受験生の間で飛び交いワタシも漢字練習ノートというなんとも懐かしいものに必死に練習したものでございました。

この済済黌高校。
熊本で1番人気で、地元中学生の憧れの高校。
グレーのセーラー服が可愛くて、
生徒はなんかキラキラしてて中学生のワタシは死ぬほど憧れてたんですね。

公立高校受験のくせに倍率2倍というわけのわからん事態をなんとか突破して、結果は合格。

はれて、済済黌高校の生徒に。

喜びで溢れている春だったことを覚えています。

そんなワタシを待っていた高校生活は、
まさにこの世の地獄としか言いようのない酷いもの。

この済済黌高校。
ワタシの父の母校であり、祖父の母校。
父はこの済済黌高校から熊本大学医学部医学科へ。祖父は防衛大学へ。
輝かしい進路を歩みました。

自分だって行ける、行ってやる。

そんな気持ちで挑んだけど、数学も化学も、英語も、歴史も、国語まで何もかもワタシは授業についていけず、
あっという間に落ちこぼれに。

お父さんみたいなお医者さんに。

そんな夢は遠く遠くなり赤点常習犯。

それでも毎日必死で眠気まなこをこすりながら平日でも絶対4時間の勉強をしたけど、どんなに頑張ってもダメ。

努力が実ったことなんて一度もありませんでした。

ど底辺の成績のままあがいてもがいても、抜け出せない事態が自分が苦しくて、
ワタシは自尊心も夢も何もかも失って、劣等感とコンプレックスの塊へと姿を変えていったものでございました。

教師たちは冷たく、悩んでいても辛くても、涙を流しても「努力不足でしょ」の一言で成績上位者の指導に夢中。

ワタシはあんなに焦がれた母校のことを大嫌いになっていました。

卒業式の終わった日、終わったことが嬉しくて、一人で泣きながら自転車をこいで帰ったことを今でも覚えています。

 国立の合格発表も、私立の合格発表も、
笑顔の友人が羨ましくて、辛くて部屋に引きこもって携帯の電源を落としたものでございます。

そんなワタシも浪人生になり。

進路を変えて、私立大学の頂点を目指します。

手の届きそうなところまで行くのですが、
なんとわずか一点差で補欠合格。そして本当の合格を勝ち取れず、ワタシはセンター利用で抑えていた立命館への進学が決まりました。


ワタシは、高校生活で巨大に育ってしまった学歴コンプレックスをどうにかしたくて。
ワタシをあざわらった教師たちを見返したくて、それだけだったのに、最後のチャレンジを賭けたのに、またしても味わった挫折に打ちひしがれたものでございました。


ワタシは両親たちへの、高校の同級へのコンプレックスでズタボロになりながら大学の入学式を迎えたのでございます。

そして、プライドも、自尊心も、夢も希望も全部剥ぎ取られて両親とも離れて放り込まれた大学の中で、ワタシは押しつぶされるような思いでしばらくの時間を過ごしました。

浪人生のころ、いい大学に行くのが全てで、
いい大学に入ったその先のことを何一つとして考えていなかったワタシは、大学入試の失敗という現実の先にあった「大学生活」とか「その先の景色」を何一つ用意してなかったんですね。

で、なんとなく文学部だし、教職でも取るか。
と興味もない教職の授業を履修しながら、考えることとか夢見ることをやめたんです。

 だけど、ある日。
ぼんやりと大学の中を歩いていた時偶然通ってる立命館のポスターに目を止めたんです。


それが、こちら。

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もしも君の夢を笑うものがいるのならば、その声を遮る盾になろう。

それは遠い昔から笑い飛ばされてきたワタシの夢を思い出させるものでした。

ワタシの夢は、本当になりたかったのは医者でもなくて一流大学の大学生でも無かったんですよ。最初から。


ずっと、ワタシがなりたかったものは
文章を書く仕事。新聞記者。

だけど、遠い昔からなってみたいと口にするたびに、「難しい、」とか「無理だよ」とか。

高校の担任に至っては、「あんたなんかがなれるわけないよ」と斬り捨てる始末。

ワタシは胸の奥にしまいこんで、
一流大学から一流企業とか、
医者になりたいとか、

誰もが望む。
誰もにうらやまれる、名誉やステータスにいつの間にかすり替えて忘れてしまっているうちに忘れてしまったんですね。


じゃあ、立ち返って考えてみれば。

ワタシの夢を阻むものは今あるのか。

否、何一つとしてないんですよ。

例え、ワタシが東大にいけても、京大に行けても、一橋に行けても早稲田に行けても、慶応に行けても、やることも望むことももう何も変わらない。

ワタシはただ新聞記者になりたいだけで、それ以上でもそれ以下でもないし、その他何者でもないんです。

だからもう高校の同級生にコンプレックスを感じる必要なんてないし、
両親にコンプレックスや申し訳ないと思うことなんてないんです。

ワタシにはワタシの確固たる夢があって、
その根底がある今はもう歩いて行く道が分かってて、視界は明るくて、
誰のことも羨ましくないし、
大学で出会えた優しい人親切な人、そして面白い人たちからキラキラ光る言葉と時間に包まれて、幸せなんです。


高校時代唯一、唯一ワタシのことを分かってくれた先生が何もかも失ったワタシに言ってくれたことが全てです。


コンプレックスは憧れとして上書き保存して、
次の夢につなげていくしかない。
そうやってしか人間は前に進めないんだよ。

この言葉がワタシは大好きで今でも胸の中にあるのですが、

先の立命館のキャッチコピーもワタシは大好きです。

それから、落研や実際に新聞記者の人に教わりながら記事を書いた中でワタシは改めて言葉とか文章の力を思い知らされる毎日でした。

そんな人をひきつけたり、知らないところで励ましたり生きる糧になる言葉を作れる人にいつかなりたいというのがワタシの夢でございます。


今のワタシの夢は、
中国か韓国で新聞の特派員として働くことで、二回生からは中国語や韓国語もしっかり勉強したいと思うのですが。
東アジアをつなぐような新聞記者になりたいです。

もう揺らがないです。
ワタシだけの夢です。

挫折と他人に羨ましがられたい、劣等感とか様々なものが混ざり合って螺旋になって学歴コンプレックスというのはあると思うけど、
立ち返って考えれば、ワタシにとってはそれは本当につまらない自己暗示でした。


 ワタシの弟が明日から受験するのは、ワタシが三年間苦しんだ済済黌高校だけど。
いまでもあの高校で過ごした毎日を思うと眩暈がするくらい悔しくて、苦くてしょうがない気分になるけど、
それでもいまのワタシは初めての入試に、緊張してピリリとした顔をしているだろうあの弟に、ただただ「がんばれ」と言ってやれるんです。

その先なんて分からないけど、
どうなったって人は再生できるんだから。